みことばの真実

新しく生まれた者として、神と共に歩むあなたの成長は、神のみことばにあなたがどれだけ価値を置くかによって変わってきます。

ペテロは手紙の中でこのように伝えています。

第一ペテロ1:23

あなたがたが新しく生まれたのは、朽ちる種からではなく、朽ちない種からであり、生ける、いつまでも変わることのない、神のことばによるのです。

私たちはキリストのメッセージが宣べ伝えられ、それを聴いたことにより救われました。同じように、同じ言葉を聴くことによって私たちは成長していくのです。

ペテロは次の章で同じ考えを繰り返し述べています。

*この「救いを得るためです」は、原語にはありません。救いは一度信じただけで受け取るものですから、新たに救いを得る必要はありませんね。

このように、聖書の中には日本語に訳された時に、訳者の意図が反映され、本来の意味から外れてしまうことがあります。私たちの教会では、原語に忠実な訳で理解することを大切にしています。

「慕い求める」という言葉の意味は、ひとつのことに対して情熱を持つ、または、目的に対して熱心になるということです。

信じる者の神のみことばに対する姿勢は、熱心であるべきであって、気まぐれであるべきではありません。

使徒パウロが弟子の一人であるテモテに書いた手紙の中で、テモテのみことばへの姿勢を褒めている箇所があります。

パウロはここでテモテのみことばに書かれていることに対する姿勢を称賛していますね。

パウロはテモテがみことばの内容に親しみ、キリスト・イエスを信じる信仰によって救いを得させる知恵を得るための書物なのだということを理解していると褒めています。

つまりテモテは、聖書の単語、文章、句、節をしっかり理解していたということです。

15節に出てくる「聖書」という言葉は、ギリシャ語で見ると「グラマ」といい、書かれた文書を指します。

ここでパウロが言っている「聖書」は文脈から見ると旧約聖書、つまり創世記からマラキ書までを指していることがわかります。

パウロが伝えているのは、旧約聖書に書かれていることは、読む者に救いを与えるということ、そしてそれはキリストを信じる信仰によるのだということです。

この15節の聖書という言葉は、神聖さを表すことばです。

聖書は神の霊感によって書かれました。それはどういうことかというと、聖書に記されている事は神の霊感によるのですが、それは人間によって書かれ、人間の言語、文化、また人がコミュニケーションを取る時に使う方法によって記されたということです。

神が人間の言語、文化、人の知識を用いたということは、聖書の著者もその当時にあった世界から切り離されてはいなかったということです。つまり、著者が書いていた相手がいる世界に、著者自身も生きていたということです。

神様は聖書の神聖なる著者だと言えますが、だからと言って神が人間の思いや意思を全く無視して書いたという意味ではありません。もしそうだとしたら、書かれていることが世間から離れてしまっていて知識がないために全く理解できないということになりかねません。

神が神聖なる著者ですが、人間の著者を通して人間の言葉、文化、また知識を用いて聖書が書かれた当時の人にわかるように書かれたということもとても大切な事実です。

そして、それが意味することは、今日の私たちには、その著者の言葉が当時誰に向けて書かれたかということ、そしてその読者に向けて書かれているということを理解する責任があります。

もし主要な読者が存在するならば、後から考えれば、第二の読者も存在すると推測できます。これは、ある特定の人々に向けて書かれた言葉を、現代の世界で読む人々のことです。

聖書は、正確に教えられ、説明された時に唯一聞く人にキリスト・イエスへの信仰を通して救いをもたらす本なのです。

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