キリストを信じることの真実 3
前回のブログの続きです。
救いとは「受け取るもの」ということを学びましたね。
ローマ人への手紙8:32
私たちすべてのために、ご自分の御子をさえ惜しまずに死に渡された方が、どうして、御子といっしょにすべてのものを、私たちに恵んでくださらないことがありましょう。
神の御子が私たちの罪のために与えられたのは、私たちには罪のために支払いをするふさわしいものがなかったからです。
だから、イエス・キリストが私たちの身代わりとなってくださいました。
ブログの最初に「人はどのようにして救われるのか?」という質問をしたのを覚えていますか?
「救われる」ために必要なのは、神様を信じるということではありません!
なぜなら、悪魔でさえも神を信じているからです。
ヤコブの手紙2:19
あなたは、神はおひとりだと信じています。りっぱなことです。ですが、悪霊どももそう信じて、身震いしています。
神がひとりだと信じることは何も特別なことではないんですね。悪魔もそう信じていることだからです。
ここからわかることは、神を信じることがそのまま救いとなるわけではないということです。
「救い」とは。イエス・キリストを信じることなのです。
使徒の働き4:12
この方以外には、だれによっても救いはありません。天の下でこの御名のほかに、私たちが救われるべき名は人に与えられていないからです。
では、どのようにして人は救われるのでしょう?
パウロがローマ人への手紙の中で説明しています。
ローマ10: 6~10
6しかし、信仰による義はこう言います。「あなたは心の中で、だれが天に上るだろうか、と言ってはいけない。」それはキリストを引き降ろすことです。
7 また、「だれが地の奥底に下るだろうか、と言ってはいけない。」それはキリストを死者の中から引き上げることなのです。
8 では、どう言っていますか。「みことばはあなたの近くにある。あなたの口にあり、あなたの心にある。」これは私たちの宣べ伝えている信仰のことばのことです。
9 なぜなら、もしあなたの口でイエスを主と告白し、あなたの心で神はイエスを死者の中からよみがえらせてくださったと信じるなら、あなたは救われるからです。
10 人は心に信じて義と認められ、口で告白して救われるのです。
もし、人がイエスは主と告白し、心で神はイエスを死者の中からよみがえらせてくださったと信じるなら、その人は救われるのです。
そのようにして「救い」は起こります。
告白するという言葉はギリシャ語でみると「ホモロジオ」と言います。
2つの箇所で同じことを言うという意味があります。つまりここでは、心と口で同じことを言うということになります。
まずは福音を聞いて心で信じます。そして、心で信じたことを自分の口を通して言うのです。
心に起こったことを口に出して言うので、まずは心から始まるということです。
こうなると、その人が救われたことは疑いようがありません。
それは、一瞬のうちに起こる奇跡です。
救われた人は、死からいのちへとよみがえるのです。
宣言のことば
私は神様のことばを信じます。その神のことばが私に持っているというものを私は持っています。私は神のことばが言う通りの者です。私の救いの真実は、イエス・キリストンの復活に基づいています。ですから、私はイエス様によって、永遠に救われています!