みことばの真実 2

聖書は、正確に教えられ、説明された時に唯一聞く人にキリスト・イエスへの信仰を通して救いをもたらす本だということを前回学びました。

言い換えると、もし聖書を用いて経済や科学について教えたり、聖書を用いてどのように裕福になれるか、などを教えたりするとしたら、聖書を乱用していることになってしまいます。

そして本来の目的である、聖書のメッセージを聞く人が救いに導かれるということに到達できなかったとしたら、聖書を悪用していることになるでしょう。

「救い」というのは罪からの救いであり、誰かの幻、証、経験や夢などによって受け取ることはできません。キリストを信じる信仰によってのみ、受け取ることができるのです。

聖書は、歴史、口を通して伝えられたこと、出来事、人物、そして物事を用いてキリスト・イエスへの信仰を教えるための文書です。

16節に「聖書はすべて」とあります。ここにある「聖書」は実は原語のギリシャ語で見ると違う言葉が使われていて「グラフェ」といいます。

「グラマ」が聖書の単語、文章、句、節などの内容を指しているのに対し、「グラフェ」は、書かれたことそのものを指します。

神は、私たちが聖書で読んでいることを書くように人に霊感を与えました。

聖書だけが、キリストを信じる信仰によって救いを得させるための教えに用いられる本です。

聖書のみことばだけが、救いに関することにおいてキリストを信じる私たちを矯正し、導いてくれます。

17節は、聖書を正確に学んだことによる結果を示しています。

聖書を正確に教えられた人は、霊的に成長し、すべての良い働きのためにふさわしい十分に整えられた者となることができるのです。

キリストを信じる者が神様のことばを適切に学ぶと、神様との歩みが揺るぎないものとなります。何によっても動かされません。

その人はキリストが自分のために成し遂げてくださったことをしっかり理解して歩むことができます。

自分の存在意義がしっかりわかり、そのことについて悩みません。

だからこそ、神のことばを正確に学ぶことは、クリスチャンが集まる教会において決しておろそかにすることはできないのです。

もし、キリストを信じて生まれ変わっているのに、神様のことばを教えられる時に座ってその教えを聴けないのだとしたら、その人に霊的成長はやってこないでしょう。

信じている人であっても、聖書の勉強に拒否反応を示す人もいます。

ですが、テレビを見たり、友達と話したりすることには長い時間をかけることができます。皮肉なことですね。

神様のことばに関する知識こそが、私たちが霊的成長するかどうかに大きく関わっているのです。

~宣言のことば~

神様のことばを学ぶことに自分自身を捧げます。

神と歩むことに関して熱心です。

霊的な事柄を軽視することはありません。

霊的な成長のために、意図的に取り組んでいます。

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