みことばの真実 3

前回までのブログでこのように学んで来たことを覚えていますか?

聖書が正しく教えられる時、そこから生み出されるのは、キリスト・イエスを信じることによる救いです。

第二テモテ3:15-17

15 また、幼いころから聖書に親しんで来たことを知っているからです。聖書はあなたに知恵を与えてキリスト・イエスに対する信仰による救いを受けさせることができるのです。

16 聖書はすべて、神の霊感によるもので、教えと証拠と矯正と義の訓練のために有益です。

17 それは、神の人が、すべての良い働きのためにふさわしい十分に整えられた者となるためです。

みことばを学ぶ時に求められるのは勤勉さです。なぜなら、もし軽い気持ちでみことばを学ぼうとすると、みことばを間違って訳すということになりかねないからです。

 みことばを説明する時には、正確さと慎重さが必要なのです。

それは、みことばの理解や訳し方が間違ってしまうと、神様に対する礼拝すら正しくできないことがあるからです。

そして、もうひとつの覚えておくべき大切なことは、みことばが書かれた時に著者が意図しなかったことは、今日においても新たな意味が加えられるということはありません。

私たちが霊的成長を経験できるかどうかは、どのようにみことばと向き合うかにかかっているとも言えます。

第二テモテ2:15 でパウロがテモテにこのように伝えています。

あなたは熟練した者、すなわち、真理のみことばをまっすぐに解き明かす、恥じることのない働き人として、自分を神にささげるよう、務め励みなさい。

ここにある「務め励みなさい」という言葉は、勤勉であること、必要な努力をすること、労働することを意味するギリシャ語に由来しています。

「働き人」は、鉱夫を指す言葉です。鉱夫は地中に埋まっている貴金属を掘り出す仕事をする人のことです。

ほんの少しの不注意によって、貴金属を傷つけてしまうこともあるため、彼らは細心の注意を払います。傷つけてしまったら、その価値が失われてしまうからです。

彼らは地中に埋もれている希少な貴金属を注意深く採掘します。

聖書のことばを教え、学ぶ際にも同じような注意深さが必要なのです。

「まっすぐに解き明かす」という言葉は、「慎重に切る」という意味の言葉から来ています。

これは、患者に外科手術を施す外科医に似ています。

わずかなミスが患者の命を危険にさらす可能性があるため、この作業には高度な技術が求められます。

それと同じように、霊的に成長するために、聖書のみことばは正確に注意深く教えられ、解釈されなければなりません。

イエスは、死から復活された後、弟子たちを40日間教え、みことばをどのように解釈するべきかのお手本を示しました。

そして、聖書を学ぶ時に偏見がありうることも示しました。

ルカによる福音書 24:25-27

25 するとイエスは言われた。「ああ、愚かな人たち。預言者たちの言ったすべてを信じない、心の鈍い人たち。

26 キリストは、必ず、そのような苦しみを受けて、それから、彼の栄光に入るはずではなかったのですか。」

27 それから、イエスは、モーセおよびすべての預言者から始めて、聖書全体の中で、ご自分について書いてある事がらを彼らに解き明かされた。

イエスは、ご自身に関する事柄を弟子たちに聖書の初めから解き明かし始めました。

「解き明かす」とは、書かれていることを解釈し、書かれていることに意味を与えることを意味します。

イエスがモーセとすべての預言者の書を解釈したということは、彼らの書いたものが文字通りではないことを意味します。

彼らが書いたものをキリストの理解に基づいて解釈することによって、私たちはその意味を理解することができます。

「初め」とは、モーセによって書かれた創世記を指します。

つまり、モーセが書いたものはキリストとその救いの働きについて書かれているということです。

ルカは「モーセから始まる」と言いました。この文脈における「モーセ」とは、モーセという人物ではなく、モーセが書いたものを指しています。

モーセは、モーセ五書と呼ばれる聖書の最初の五書を書きました。

これらは創世記、出エジプト記、レビ記、民数記、申命記です。

イエスは、モーセが自分について書いたので、これらの書物から教えを始めました。

ルカも「そしてすべての預言者たちから始めて」と述べています。これは預言的なみことばについてです。

これは聖書に登場するよく知られている預言者、そしてあまり知られていない預言者についてです。

この全ての預言者たちはキリストについて語り、書き記しました。

エレミヤ、ナホム、イザヤ、ゼパニヤなどの書はキリストに焦点が当てられています。

ルカによる福音書 24: 44-46

44 さて、そこでイエスは言われた。「わたしがまだあなたがたといっしょにいたころ、あなたがたに話したことばはこうです。わたしについてモーセの律法と預言者と詩篇とに書いてあることは、必ず全部成就するということでした。」

45 そこで、イエスは、聖書を悟らせるために彼らの心を開いて、

46 こう言われた。「次のように買いてあります。キリストは苦しみを受け、三日目に死人の中からよみがえり、

イエスは、十字架に架けられる前に弟子たちに教えたこと、すなわちモーセの律法、預言者、詩篇に記されていることがご自分に関するものであることを弟子たちに思い出させました。

このイエスの復活後の40日間の教えによって、弟子たちは以前イエスに教えられたすべてのことがつながったのです。

その時、弟子たちの理解は開かれました。

みことばに対する理解が生き生きとしたものとなったのです。

そして、聖書に書かれている人物の真実が明らかになりました。

イエスこそが、その人物であり、聖書の中心です。

イエスは、聖書が説明していることそのものなのです。

へブル 1:1-3

1 神は、むかし父祖たちに、預言者たちを通して、多くの部分に分け、また、いろいろな方法で語られましたが、

2 この終わりの時には、御子によって、私たちに語られました。神は、御子を万物の相続者とし、また御子によって世界を造られました。

3 御子は神の栄光の輝き、また神の本質の完全な現れであり、その力あるみことばによって万物を保っておられます。また、罪のきよめを成し遂げて、すぐれて高い所の大能者の右の座に着かれました。

神は御子イエスにおいて語られました。

御子イエスは、預言者たちが神について語ったすべてのものの所有者です。

預言者たちは様々な形と方法で語り、そして少しずつ語りました。

しかし、神はイエス・キリストにおいてとても明確な言葉で語られました。

神のご性質と働きに関することは、キリストの内にのみ明らかにされます。

神がどのようなお方であるか、何ができ、何ができないかを知るためには、イエスがどのようなお方であるかを知らなければなりません。

イエスは神の考え方そのものです。

イエスは神の理念です。

イエスは神が現れた形です。

それゆえ、神のことばの真実はイエス・キリストという人なのです。

告白:私はキリストにおいてのみ神を知ります。私の神に関する知識は、経験やうわさに基づくものではありません。私の神に関する知識は、キリストにおいてのみ見出されます。キリストこそが私への神の啓示だからです。

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