キリストを信じることの真実

キリストを信じる私たちの信仰は、どれほど現実的でしょうか。また、クリスチャンであるということはどういう意味であるか、考えたことはありますか?

聖書や十字架などをさして、それが信仰と深く関わっていると考える人や、そのような物を持っていることが人をクリスチャンにするのだと考える人もいるかもしれません。キリストを信じることによって与えられる新しい名前を持つことや、クリスチャンの家庭に生まれることによって、クリスチャンになるのだと誤解する人もいます。

また、クリスチャンになるということは、両手を握りしめて祈っている姿勢を保ち、「イエスの名によって」という言葉で祈りを締めくくることだと考える人もいます。

しかし、実際には、そのようなことによって、人はクリスチャンになるわけではありません。もしかしたら、教会員として長いこと地域教会に属し、様々な活動に積極的に参加しているかもしれませんが、その行ないの真の意味を知らないでいる、ということもあり得るのです。

ヨハネによる福音書14章4~6節にはこうあります。

4 わたしの行く道はあなたがたも知っています。

5 トマスはイエスに言った。「主よ。どこへいらっしゃるのか、私たちにはわかりません。どうして、その道が私たちにわかりましょう。」

6 イエスは彼に言われた。「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。

5節で質問した弟子は、この質問をする前、イエス様と3年も一緒に過ごしていました。イエス様は、「私が道であり、真理であり、いのちなのです。」と答えています。そして、その答えには様々な受け取り方ができるような余地はありません。「わたしは、父のもとに行くための道のひとつだ」とは言っていません。「わたしが道であり、真理であり、いのちだ」と言われたのです。イエス様は道を示すために来られたのではなく、イエス様ご自身が道なのです。真理を語る人なのではなく、真理そのものです。そしていのちを与える方ではなく、いのちです。

そして7節にはこうあります。

あなたがたは、もしわたしを知っていたなら、父をも知っていたはずです。しかし、今や、あなたがたは父を知っており、また、すでに父を見たのです。」

つまり、イエス・キリストを知ることは神様を知ることでもあるということです。イエス様に関する知識は、神様についての知識であり、イエス様のいのちが与えられているということは、神様のいのちがあたえられているということなのです。

信仰とは、イエス・キリストの内にのみ見つけることができる神様との関わり、または交わりを指します。つまり、神様はイエス・キリストに基づいて私たち人間と関わりを持ってくださるということです。神の啓示を知り、神様がどのような方かを表すためには、キリストの内にあって、初めてそれが可能になるということです。

クリスチャンであるということは、何かを頑張ってすることではなく、キリストがしてくださったことを信じる信仰をもつことなのです。

あなたの心の中に、神様についての知識で、キリストによって示された以外の知識があるかもしれません。そして、もしそのキリスト以外の知識によって神様を見ているのだとしたら、あなたはもしかして救われていないかもしれません。

イエス様は、神様が人と関わる道のひとつなのではありません。イエス様だけが唯一の道であり、唯一の真理であり、神様の内に見つけることができるいのちです。

救われるために必要なことは、たったひとつ、キリストの贖いのわざを信じることです。贖いのわざとは、キリストの死と埋葬と復活です。この事実によって、福音が聖なるものとされています。

そしてもし、イエス・キリストを信じて生まれ変わっていても、その生まれ変わりの時に何が起こったかを詳しく説明されないでいると、その人の神様との歩みは偶発的なものとなってしまいます。そのような人の神様との歩みは、安定性がなく波に揺られているような状態となります。

ピレモンの手紙1章4~6節にこうあります。

4 私は、祈りのうちにあなたのことを覚え、いつも私の神に感謝しています。

5 それは、主イエスに対してあなたが抱いている信仰と、すべての聖徒に対するあなたの愛とについて聞いているからです。

6 私たちの間でキリストのためになされているすべての良い行いをよく知ることによって、あなたの信仰の交わりが生きて働くものとなりますように。

この6節の日本語訳は、原語であるギリシャ語からかけはなれている訳になってしまっています。ギリシャ語に忠実に訳すとこのようになります。

6キリストによってあなたの内に与えられているすべての良い事を知ることによって、あなたの信仰の交わりが実り多いものとなりますように。

6節では、生まれ変わった者の知識の大切さを伝えています。この節では、私たちの神様との信仰の歩みは、キリストの内にいることによって与えられているすべての良い事を知っているかが最も重要だと伝えています。

ここで使われている「知る」という言葉は、ギリシャ語でみると、正しく正確な理解という意味があります。私たちがキリストを信じる信仰によって与えられているものがどんなに素晴らしいかを知ることが、クリスチャンとしての歩みが実り多いものとなるかどうかを左右するということなのです。

この知識をしっかりと持つことで、自分がキリストにあってどのような存在か、キリストにあって何が与えられているか、またキリストが自分を通してどんなに素晴らしいことをしてくださるかがわかるようになります。

宣言のことば

私は神様のことばから知識を受け取ります。神様が私のために、キリストを通してしてくださったことを大切にします。そして、その真実の内を歩みます。

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