キリストを信じることの真実2
前回のブログで「知る」ことの大切さをお伝えしました。
ピレモンの手紙1:4~6をもう一度見てみましょう。
4 私は、祈りのうちにあなたのことを覚え、いつも私の神に感謝しています。
5 それは、主イエスに対してあなたが抱いている信仰と、すべての聖徒に対するあなたの愛とについて聞いているからです。
6 私たちの間でキリストのためになされているすべての良い行いをよく知ることによって、あなたの信仰の交わりが生きて働くものとなりますように。
この6節の日本語訳は、原語であるギリシャ語からかけ離れている訳になってしまっています。ギリシャ語に忠実に訳すとこのようになります。
6キリストによってあなたの内に与えられているすべての良い事を知ることによって、あなたの信仰の交わりが実り多いものとなりますように。
パウロはピレモンに手紙を書くことで、信仰の歩みがいかに実り多いものとなるかどうかは、キリストによってどんなにすばらしいものが与えられているかを知ることに関わっていると伝えています。
この「知ること」という言葉を原語のギリシャ語で見ると正確な知識または詳しい情報という意味になります。
つまり、特定の事実が含まれている知識ということです。
ここからわかることは、キリストによって生まれ変わった人は、救われた時に自分に何が起こったかという正確な知識が必要ということです。
まず初めの質問は、「どのようにして人は生まれ変わるか?」ということです。
実は、教会にいる多くの方々がこの質問に答えることができません。
どの時点で、人は救いを受け取るのか?
人によっては、救いの時の不思議な体験を証しとして語ったり、そのような不思議な体験をしたりしなければ人は救いを受け取れないのだと考えてしまう人もいます。
しかし、どんなに地位の高い人、例えば牧師がした経験も、個人的な経験が御言葉よりも力があることは決してないのです。
神様の御言葉こそが、どのように人が救いを受けるかということを説明する絶対的な権威です。
エペソ人への手紙2:1~6
1 あなたがたは自分の罪過と罪との中に死んでいた者であって、
2 そのころは、それらの罪の中にあってこの世の流れに従い、空中の権威を持つ支配者として今も不従順の子らの中に働いている霊に従って、歩んでいました。
3 私たちもみな、かつては不従順の子らの中にあって、自分の肉の欲の中に生き、肉と心の望むままを行い、ほかの人たちと同じように、生まれながら御怒りを受けるべき子らでした。
4 しかし、あわれみ豊かな神は、私たちを愛してくださったその大きな愛のゆえに、
5 罪過の中に死んでいたこの私たちをキリストとともに生かし、—あなたがたが救われたのは、ただ恵みによるのです—
6 キリスト・イエスにあって、ともによみがえらせ、ともに天上にすわらせてくださいました。
ここでパウロは、私たちをキリストとともに生かし、と言っています。
つまり、救いを受け取った時から私たちは生き始めるのです。
救いの時に、私たちはいのちを受け取ります。
そのいのちによって霊的に生きる者とさせられるのです。
ヨハネによる福音書1:12
しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった。
救いとは受け取るものです。
クリスチャンの間でよく言われるフレーズに「私は自分の人生をキリストに捧げました」というものがありますが、私たちは救いの時に何も捧げてはいません。
救いとは受け取るものです。キリストによって神様がしてくださったこと、それをただ受け取るだけなのです。
宣言のことば
私は、キリストが私のために十字架で死なれ、埋葬され、三日後によみがえられたことを信じます。この事実を信じた時に救いを受けました。
一方的な神様の恵みを受け取ります。