みことばの真実 4
これまで見てきたことを簡単にまとめると、神のことばと神がどのようなお方であるかということはイエス・キリストという人を見ることによってわかるということです。
神の性質と啓示は、私たちの夢や憶測、また個人的な経験に基づくものではありません。
神がどのような方であるかを知るには、イエスが私たち人間に示された神の啓示であるということをまず理解しなければなりません。
第二コリント5:19
すなわち、神は、キリストにあって、この世をご自分と和解させ、違反行為の責めを人々に負わせないで、和解のことばを私たちにゆだねられたのです。
ここでパウロは「神は、キリストにあって」と書いています。
つまり、キリストを通してでなければ神を知る道は他にないのです。
第一テモテ2:5
神は唯一です。また、神と人との間の仲介者も唯一であって、それは人としてのキリスト・イエスです。
イエス・キリストが私たち人と神との間の仲介者です。それは、言い換えるとキリストを通して私たちは神と出会うことができるということです。
パウロは、以下の箇所でキリストの内にある神の啓示について、さらに詳しく説明しています。
第一テモテ3:16
誰もが認めるように、この敬虔の奥義は偉大です。
「キリストは肉において現われ、霊において義と宣言され、御使いたちに見られ、諸国民の間で宣べ伝えられ、世界中で信じられ、栄光のうちに上げられた。」
神が受肉によって肉体に現れたことは、議論の余地がありません。
イエスにおいて、神に関するあらゆる誤解や思い込みは、取り除かれました。
これまで人間には見えなかった神が、イエス・キリストによって目に見えるようになったからです。
イエスは目に見えない神を目に見えるようにしてくださいました。
コロサイ人への手紙1:15
御子は、見えない神のかたちであり、造られたすべてのものより先に生まれた方です。
「見えない神のかたち」という言葉、よくよく考えてみると矛盾がありませんか?
「見えないもの」に「かたち」はないからです。
神は目に見えません。私たちの肉眼では見ることができないのが神です。
ですが、受肉によって神は人間になられたのです。
前回へブル人への手紙で止まりましたので続きを見ていきましょう。
へブル1:1~3
1 神は、むかし父祖たちに、預言者たちを通して、多くの部分に分け、また、いろいろな方法で語られましたが、
2 この終わりの時には、御子によって、私たちに語られました。神は、御子を万物の相続者とし、また御子によって世界を造られました。
3 御子は神の栄光の輝き、また神の本質の完全な現れであり、その力あるみことばによって万物を保っておられます。また、罪のきよめを成し遂げて、すぐれて高い所の大能者の右の座に着かれました。
1節は以前に語られたことを指しています。だから「むかし」という言葉が出てきているのですね。つまり、誰かの経験ではなくある期間を表していることがわかります。
「むかし」というのは、預言的な聖書のみことば、または一般に旧約聖書と呼ばれるものを指します。
預言者というのは、神の代わりに話す人のことを指します。しかしながら、その預言者たちの語ったことは部分的であり、不完全な啓示だったのです。それが、多くの部分に分け、いろいろな方法で語られたという言葉の意味です。
1節には、預言者、方法、むかし、父祖という言葉が出てきます。
2節には、御子によって語られたとありますが。原語からの正しい訳は、御子にあって語られたとなります。御子によってでは、イエス・キリストがメッセンジャーのようになってしまいます。実際には、神がイエスにあって語ったので、御子にあって語られたという訳になります。(新改訳2017年度版は「御子にあって」という風に直されていました。)
へブル人への手紙は比較の本だと言われています。ここで著者は、預言者とその預言者たちが語っていた御子との違いを明確にしています。
そして、御子は「万物の相続者」とも呼ばれています。相続者とは、所有者でもあります。
原語の意味から見ると、法的に所有者とされている人のことを指します。
ここの文脈から見ると、御子は預言者たちが多くの部分に分け、多くの方法で語ったことの所有者なのです。
神は、実は多くの部分に分け、多くの方法で語ったことはありません。
正確に言うと、預言者たちが神から聞いたことを人々に多くの部分に分け、多くの方法で伝えたということになります。
2節の「定め」という言葉の意味は、ある地位を占めるという意味になります。それは、ある行いを実行するために責任を持つということでもあります。
イエス・キリストは預言者たちが語ったことに応答して責任をとったのです。
イエスは、預言者たちが彼に対して語っていたことを成就しなければなりませんでした。
2節には、御子によって世界を造られたとあります。
世界とは、時の輪、活動の輪を意味します。預言者たちの活動の輪、すなわち預言者の預言がありました。神は預言者たちに霊感を与えて語らせましたが、神は部分的な真実や啓示を語らないので、実際に語っているのは神様ご自身ではありません。
第二テモテ3:16
聖書はすべて、神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練のために有益です。
ここにある「聖書」とは、書かれていることそのものを指しています。神は人々に書くよう霊感を与えました。しかし、彼らが書き記したものは、歴史と文化を背景とした人間の言語で書かれました。
預言者の言葉は、神の意図を伝えるために用いられたのです。
第二ペテロ1:20-21
20 キリストは、世の始まる前から知られていましたが、この終わりの時に、あなたがたのために、現れてくださいました。
21 あなたがたは、死者の中からこのキリストをよみがえらせて彼に栄光を与えられた神を、キリストによって信じる人々です。このようにして、あなたがたの信仰と希望は神にかかっているのです。
ペテロが聖なる人々と呼んだ預言者たちは、聖霊の導きを受けて語りました。彼らの言葉から、彼らが語った真理は部分的なものであったことがわかります。彼らは少しずつ物事が明らかになっていく様子を語りました。しかし、彼らが語った事柄の所有者はキリストです。預言者たちが語ったことを成就させるのはキリストだからです。
宣言のことば
私は神の言葉を信じます。それは私の現実です。神がどのような方であるかということは、キリストを通してのみ知ることができます。神はキリストにあってご自身を明らかにされました。私はキリストにおいてのみ神を見ます。
