みことばの真実 5
聖書のみことばに関する正確な知識は、正しく教えられたときにのみ得ることができます。
なぜなら、キリストを信じる者は、みことばに関する正確な知識がなければ、神を知ることも、自分に与えられた特権を用いていくこともできないからです。
神がどのような方であるか、神の人格、性質、行動、能力は、神としての人の内にのみ見ることができます。その人とは、イエス・キリストです。
イエスは、人間ではないかのように100パーセント神であり、神ではないかのように100パーセント人間です。
ヘブル人への手紙の著者は、イエスを「神の本質の完全な現れ」と呼びました。
旧約聖書の預言者たちは多くの部分に分け、多くの方法で先祖たちに語ってきたことを見てきました。
これは、預言者たちが一度で全てを語ったのではなく、少しずつ真実が明らかにされる形で語ったことを意味します。
ヨハネ5:39~47
39 あなたがたは、聖書の中に永遠のいのちがあると思うので、聖書を調べています。その聖書が、わたしについて証言しているのです。
40 それなのに、あなたがたは、いのちを得るためにわたしのもとに来ようとはしません。
41 わたしは人からの栄誉は受けません。
42 ただ、わたしはあなたがたを知っています。あなたがたのうちには、神の愛がありません。
43 わたしはわたしの父の名によって来ましたが、あなたがたはわたしを受け入れません。ほかの人がその人自身の名において来れば、あなたがたはその人を受け入れるのです。
44 互いの栄誉は受けても、唯一の神からの栄誉を求めないあなたがたが、どうして信じることができますか。
45 わたしが、父の前にあなたがたを訴えようとしていると思ってはなりません。あなたがたを訴える者は、あなたがたが望みをおいているモーセです。
46 もしあなたがたがモーセを信じているのなら、わたしを信じたはずです。モーセが書いたのはわたしのことだからです。
47 しかし、あなたがたがモーセの書を信じないのであれば、どうしてわたしのことばを信じるでしょう。」
イエスは、聖書を暗記していたユダヤ人の聴衆に語りかけていました。
彼らは聖書を調べ、それを読めば永遠の命が得られると考えていました。
しかし、イエスの答えは彼らの考えとは正反対でした。
イエスはみことばが自分について証していると弟子たちに告げました。
みことばは、個々に読む時も、全体として読む時も、キリストという人について証します。
みことばを読むだけでなく、読者はみことば全体を通して証されている人の存在を知る必要があります。それがキリストです。
イエスはまた、語りかけていたユダヤ人の聴衆に対し、モーセが自分について書いたことを明言しました。
以前にも書きましたが、モーセはモーセ五書と呼ばれる聖書の最初の五つの書を記しました。
イエスは、もしモーセの書物を信じていたなら、モーセが書いたように、イエスを信じるだろうと語りました。
つまり、モーセは聖書の最初の五つの書の中でイエス・キリストについて書いたのです。
イエスは旧約聖書では、人間としてではなく、人格として存在していました。
すべての人間は目に見える存在ですが、目に見える存在すべてが人間であるわけではありません。
ヨハネの福音書1:1~5
1 初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。
2 この方は、初めに神とともにおられた。
3 すべてのものは、この方によって造られた。造られたもので、この方によらずにできたものは一つもない。
4 この方にいのちがあった。このいのちは人の光であった。
5 光はやみの中に輝いている。やみはこれに打ち勝たなかった。
ここでヨハネは、新約聖書の著者全員が旧約聖書から引用したように、旧約聖書の記述から説明を引用しています。
ヨハネが書いた書物の中で用いる言葉遣いは、旧約聖書に由来しています。
これは、旧約聖書が新約聖書を前面に置き、新約聖書が旧約聖書を背景にしているからです。
ヨハネが用いる「言葉」はギリシャ語の「ロゴス」で、思考、主題、アイデア、計画を意味します。
しかし、ヨハネが用いる「言葉」のへブル語は「ダバー」です。ダバーは経験、つまり見たり、聞いたり、感じたり、手に取ったりできるものを指します。
ダバーは言葉や発話ではありません。
創世記3:8
そよ風の吹くころ、彼らは園を歩き回られる神である主の声を聞いた、それで人とその妻は、神である主の御顔を避けて園の木の間に身を隠した。
「彼らは園を歩き回られる神である主の声」とありますが、声は歩きませんね。
言葉は触れることもできなければ、目で見ることもできません。つまり、ここでは人を表しているのです。
主の御顔とは、主の人格を指しているのです。
創世記15:1~4
1 これらの出来事の後、主のことばが幻のうちにアブラムに臨み、こう仰せられた。「アブラムよ。恐れるな。わたしはあなたの盾である。あなたの受ける報いは非常に大きい。
2 そこでアブラムは申し上げた。「神、主よ。私に何をお与えになるのですか。私には子がありません。私の家の相続人は、あのダマスコのエリエゼルになるのでしょうか。」
3 さらに、アブラムは、「ご覧ください。あなたが子孫を下さらないので、私の家の奴隷が、私の跡取りになるでしょう」と申し上げた。
4 すると、主のことばが彼に臨み、こう仰せられた。「その者があなたの跡を継いではならない。ただ、あなた自身から生まれ出て来る者が、あなたの跡を継がなければならない。」
ここでも1節と4節で「ことば」という言葉が使われています。言葉は目に見えません。アブラハムが幻の中で出会ったのは、ある人物だったに違いありません。
彼はある人物と交流しました。これは彼がした経験を表しています。
続きはまた次のブログでお届けします。
今日の宣言のことば
私の神に関する知識は、キリストの内においてのみ、得ることができます!
